革命的医療崩壊主義という戦略

革命的医療崩壊主義という戦略
ここ最近の感染症危機のさなか、SNS やインターネット上には医療労働者の皆さんに感謝しましょう、出来る限りの支援をしていきましょう、という投稿が非常に増えてきた、という印象を受けることがよくある。今この危機の最中にあって、わたしたちの共通の敵である、あのウイルスと最前線で戦い
平和を守ろうとしてくれている医療労働者の皆さんを銃後から私たちは感謝し、応援しましょう、というのがこの種の言説の趣旨だが、はっきり言わせていただくと、書き込みをしている当人の自意識とは無関係にこのようなものは例のウイルスに伴う感染症危機が生じた構造的要因を覆い隠し、対感染症での結束の名の下に階級対立、さまざまな差別の存在を後景化させてしまうものだろう。
まず、今現在進行中の出来事を、新種のウイルスの脅威に対して人間が戦いを挑んでいる、という構
図で捉えるのはまったく没階級的な視点であり、市場と国家を問うことは出来ないだろう。そもそもウイルスなどというのは自然界にはさまざまに存在するものであり、それ自体が善とか悪とかいうものではないのである。ただ、人間の側にとって、今現在人間が営んでいる社会にとり、都合が悪いものであるから、ウイルスが問題となるだけなのである。したがって、ウイルスを蔓延しやすい条件を構築してきた社会を問う観点が必要となってくる。
今回の感染症がここまで拡大してきたことの背後には、グローバル資本主義の到来と共に人と物の移
動がかつてないほどの速度と強度で行われるようになったこと、市場原理が従来までは公益性が優先
されていた領域にまで浸透したため医療機関が患者の検査・治療よりも経営を重視するようになったこと、生産性向上のためにさまざまな地域・階層・属性の人間が自身の労働力をますます市場で売らねばならなくなったこと、感染を避けるために自宅で静養しようにもそれが出来ないほどに窮乏した労働者が従来に比しても非常に大きく増加していること、などが考えられる。それは日本でもこの 80年代の中曽根内閣時代に端を発する新自由主義政策、その背景にある市場原理に基づいて国家を運営していかなければならなくなった資本主義の行き詰まりの現状がもたらしたものだ。したがって、単に医療現場で働く労働者が自分たちの職能を発揮すれば事態が良くなるものではまったくないのだ。医療労働者の献身に感謝しようなどというのは、裏を返せば長年にわたる市場原理とそれの影響下にある国家の政策の責任を問わずに医療現場に責任を転嫁する類の言説でしかないのだ。
感染症が流行するなかでも経済的理由でマスクも消毒液を入手することが出来ない人たち。仕事を休もうにも雇用保険に入れず、有給休暇も取れず、明日の生活が立ち行かなくなることを恐れて休めない非正規労働者。住む家もなくそもそも自宅で静養できない人たち。そして公的な社会保障の枠組みの外に置かれている在日外国人たち。そこには明確に階級の問題、被抑圧人民の問題が厳と存在している。ウイルスと人間の戦いなどという図式が立てられるとき、このような問題は往々にして不可視化される。もちろん、階級・階層・属性に関わらず誰でも感染するリスクはある。しかし、感染症対策だけに集中し、仮に発症しても治療のことだけを考えておけばよい人間ばかりではないこと、むしろ件のウイルスが自らの生存を脅かすリスク要因の一つでしかないような環境におかれた人間の方が多い、という現実はブルジョワメディアからは十分には伝わってこないのだ。
すでにさまざまな報道でも明らかになっているように病院内部で医療労働者が感染して、それがさらなる感染症拡大につながっているケースは多々あると思われる。医療現場では周知の通り、医療のための十分な設備・物資が不足しているのだが、医療労働者自身が劣悪な労働環境で感染の危険にさらされているのが現状だ。そのことにもかかわらず、きちんとした待遇・職場環境の改善もなく、医療労働者の更なる奮闘に期待しようなどというのは、現場労働者の搾取の強化に他ならないだろう。
周知の通り、危機に伴う人々への生活・休業補償の遅さをめぐって安倍政権に対しては SNS やインターネット上で不満や不信が非常にさまざまに噴出している。今の政権が推進しようとしている現金給付案などではとても追いつかない、という意見が多いし、それはその通りだ。日本国内に居住しているにもかかわらず現金給付の対象から外される人間、現金 10 万程度では 1 月も持たないくらいに困窮している人々が多数いる反面、ほんのちょっとした小遣い程度にも思えないくらい余裕のある暮らしをしている人間もまたいるのがこの社会の現実なのだ。しかしブルジョワ的諸権利とは元々そのようなものであり、民衆の下からの運動、事と次第によっては暴力革命の可能性を感じさせるほどの蜂起がなければ支配層は民衆に対して譲歩する必要性は基本的にはないのだ。そこで私が考えるのは革命的医療崩壊主義という戦略の可能性である。
今、さまざまな媒体を通して検査体制の充実が求められ、医療機関の受け入れ態勢の拡充が求められている。この状況で全国の医療従事者が一斉に①医療労働者の待遇及び保障の大幅な充実②医療機関の受け入れ態勢及び検査体制の大幅な拡充③医療費の無償化④各種社会保険及び介護の無償化⑤水光熱費の無償化⑥家賃の無償化⑦通信料金の無償化⑧奨学金、キャッシングの支払い免除⑨毎月単位で国内に住むすべての人間に必要分の現金を給付、などを財源を富裕な個人や資本からの税で出させる形で実施するように要求して、ストライキを予告すればどうなるだろうか?医療崩壊の現実性をストライキによって一気に突きつけるのだ。今もし全国の病院の機能の多くが停まるような事態が現実味を帯びてきたとしたら、それは現政府にとっては、さすがに放置できないことであり、要求項目の相当部分を呑まざるを得ないのではないのだろうか。さらにこれにいわゆる宅配・運送業や小売業などエッシャルワーカーと呼ばれる各種の人々の生活や健康と関わりの職に就いている労働者が連帯してストライキを予告すればどうなるだろうか?事の成り行き次第では革命前夜とも言える情勢が生まれるだろうし、現実の革命にはすぐに至らなくても市場と国家を抑制する新たな方向性が見えてくるだろう。
その点を踏まえると、今回の感染症危機によって露呈した現代の矛盾に対して医療労働者がこれと根源的に対決しようと言うのであれば、それは決して不十分極まりない環境のもとで自分自身を危険にさらしながら医療行為に励んで、一部の人達の期待に応えてウイルスと戦う「兵士」としての任務を全うするのではなく、ストライキの組織によって階級闘争を戦うことだろう、と言えるのである。問題は、では、今先述したような形でのストライキが起こせるだけの蓄積があるか、であるが。