人民新聞社によるハラスメント事件について

私が何度か記事を書かせていただいた人民新聞内で所属する記者に対するハラスメントが行われ、被害者の村上薫さん(※宝島社を相手取っての訴訟の原告でもある)が今回訴えを起こすこととなった
他の人も FacebookTwitter 上でこの件についての言及をはじめており、私自身、人民新聞と関わりを持つ者であるため、今回の件は到底看過出来ないと考え、可能な限り被害当事者と連帯していくつもりである。
このブログに書かれている事件の概要で触れられている話し合いの場に私も 2 度参加したが、3 月 4 日の話し合いの席上で、それまでは事実関係には齟齬はないと加害を認めていたにもかかわらず、人民新聞側が被害者である村上さんの話には嘘や言い落としが多く、人民新聞にとっては迷惑なデマを拡散されている、と急に言い出し、場が 2 次加害的なものとなった。私がその際に被害者の証言の不正確性をねちねち指摘して揚げ足を取るやり方は日本軍性奴隷制度の被害者の証言を無効化するために歴史修正主義者がやる手口と同じではないかと指摘したが、人民新聞側は言われたことの意味が全く理解出来ない様子だった。
運動内部でのさまざまなハラスメントの横行は事情を知る者の間ではよく知られたことで、被害者が運動から離れていくことを余儀なくされる一方で、加害者が運動現場に居座り、運動内部で権力を獲得していくことはよくある。運動の現場での差別やハラスメント、運動内暴力を告発し、問題化していくことはそれ自体が運動を停滞させるものとして否定的に捉えられることが往々にしてあり、閉鎖的な空間のなかで加害行為の悪質な隠蔽や 2 次加害が行われることも多い。しかし、それでは運動体自体が内部に抱えている歪んだ権力関係や差別問題及びハラスメントへの認識不足が問われることなく、いつまでも同種の加害が拡大再生産される他はない。
本来、運動体内でのトラブルは運動体自体を更新していく機会と捉えられるべきなのであり、そうでなければ運動体自体が組織防衛のみを目的とした閉じられたものと堕してしまう。組織維持が自己目的化した運動体は本質的にいって既存の秩序を改変することよりも内部での異質分子を取り締まり、セクト主義的に運動を私物化する方向に向かわざるを得ないのであって、決して戦争機械にはなり得ず、国家暴力装置の補完物に成り下がるのである。我々はそのような腐敗した運動体が法の支配のもとへの服従を誓い、権力側と妥協したりする反面、陰湿な暴力を運動現場で行使したり、組織内での粛清を実行したり、行政なり、大学当局なり、企業の経営陣と馴れ合ったり、あるいは運動現場を組織拡大のための食い物にしてきた歴史を知っているはずである。
今回の案件について私が気がかりにしている点が 2 つあって、まず 1 つめは人民新聞側にセックスワーカーという職業に対する偏見があったのではないのか、ということである。運動圏においては、実際のセックスワーカーの置かれた状況を何ら知ろうともせずに、藤田孝典や森田成也(※この人物はトランスヘイターとしても悪名高い)らの性産業廃止の主張に安易に同調してしまう者が散見される。職場環境の劣悪さを性産業廃止の理由に挙げる者はよくいるが、ならば労働環境の改善が目指されて然るべきにもかかわらずことさら当事者を置き去りにした形で性産業が焦点化されてしまうのは性的な関係というものはパートナー同士で営まれるべき、というロマンチックイデオロギーと結びついた、あるいは抑圧的な性道徳と結合した価値観が背後にあるからではないかと私は疑っている。既存の左翼のなかにセックスワーク差別に往々にして加担してしまう者が続々と出てくるのは、性的な事柄には慎み深くあるべき、という家父長制的な考えを内面化しているからではないのかとも考えられる。性の抑圧は支配者の統治の手法の 1 つとして欠かせないものであり、人間が生育過程で受ける馴化のための手段の 1 つでもある。そこをきちんと批判できないということとミクロな次元での支配・被支配の関係性に鈍感であることは決して無関係ではあるまい。
もう 1 つは人民新聞側が被害者である村上薫さんを教え導き、面倒を見てやる相手として見なしていた、つまり対等な仲間としては見なしていなかったのではということである。今回の事案に関しては被害者の生活状況を考慮することなく、ただ弾圧のリスクがあるから仕事を辞めろ、といったのがそもそもの事の発端であるが、他人の生活に関わる事柄に干渉して、当該の意志を左右できるという考え方は非常にパターナリスムなものである。毒親が子どもに対してやるようなことを人民新聞の関係者は村上さんに対して行っているのである。前述の通り、セックスワーカーへの偏見が疑われるが、それだけではなく、そもそも社内において歪んだ権力関係が存在していて、そのことが私的な領域への侵入のハードルを下げていたのではないのか?という点を私は問いたくもなる。
昨今、気候変動、COVID-19、ロシアによるウクライナ侵略と続く形で、時代は揺れ動いている。「大きな物語」が改めて求められる局面が到来しているともいえるが、だからこそ我々は取り組むべき課題に政治主義的に優劣を付けていく既存左翼のこれまでの傾向を断固として拒否し、今こそ運動内部でのミクロファシズムを警戒しなければならない。

Les organisations de gauche ne sont pas les dernières à secréter leurs micro-fascismes.
「左翼の諸組織においてはミクロファシズムが最も滲み出にくいなどということはない」
                           ドゥルーズ=ガタリ千のプラトー』より

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